主観性とヒト

ここまで、「機械化するヒト」というものをひとつのテーマのもとで、機械化について、書いてきた。

それに対して、現代におけるヒト足り得るものはなんだろうというものについて書いてみる。

結論から言うと、現代においても、ヒトがヒト足り得るものは、「主観性」だろうと考える。

辞書によると、主観とは、「自分だけの見方にとらわれているさま」とのことだ。

現代および科学では、批判的な文脈で使われることが多いだろう。筆者も客観的、論理的の対義語として、批判的な見方をしていた。

一方で、昨今、「人間的とは?」という疑問への暫定的な答えになり得るものだと考えている。

これを大切にしているのが、アートやデザインという分野だろう(これら二つを同じに扱うと怒られるが…)。

そこから何を感じるか?どっちの方が良いと思うか?そういう小さな主観的な積み重ねを丁寧に議論するのが、デザインだと感じている。

こういう主観を大切にし、他人を尊重する習慣にこそ、何か科学の(良くも悪くも)無慈悲とは異なった、「幸せ」を創出する源泉なのかもしれない。

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