「予定」と「ジブン」

「予定」とは非常に使いやすい存在だろう。

「予定があるから」
「忙しいから」 etc…

現代を生きる私たちは、常に時間に追われていると言っても良いだろう。そんな中で、時を止めるかのような働きをするものを私は求めているのかもしれない。

一方で、「時を止めるもの」というのは、自分のほかにいなく、幾許の人間を除いて、「予定」と立ち向かうことがどれだけ大変なことか考えることもない人が多いだろう。

「まぁ、いいか」「今は忙しいから」

なんてそんな言葉を口にしているうちに、時間が過ぎていく。
それが良いことであれ、悪いことであれ、それは自分がその時間に対して、価値評価を行うだけである。
この価値評価は、絶対的なものになることは少なく、おおよそが他人との比較による、相対評価だろう。
そのような「評価」を繰り返していくうちに、自分とはなんなのか。自分というものが、「ジブン」という形のない存在、空虚なものに変わっていくことに気づくこともないだろう。

ただ振り返ったときに、タスクをこなす「ジブン」が立っているだけ。

それを人は幸せと言えるのだろうか?
幸せとは何か?

難しいこの質問に対して、いつかclearに答えることができる日を一人の「ジブン」として待ち望んでいるのかもしれない。

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