現代社会の作り出した機械的人間

初めまして、毎日1投稿を目指してブログをスタートしました。
毎日2000字を目標にのんびりとやっていこうと思っています。

現代では、CharGPTをはじめとした生成系AIの普及し、文書を自分の手で書く機会というのも非常に減ってきたように思います。
筆者も伝えたいことを箇条書きにし、「文章にしてください」の一言で文章の生成を行ってもらっています。
そのような時代だからこそ、あえて自分の手で何かものを書いてみたい、そしてそのような機会を使って自分というのをもう一度見つめなしてみたいなどというのが今回のブログの動機になります。

さて、タイトルの通り、本日は「現代社会の作り出した機械的人間」ということについて書いてみたいと思います。

このようなタイトルでの随想は、廣瀬通孝先生のある本が1つのきっかけになっています。

『ヒトと機械のあいだ
ヒト化する機械と機械化するヒト
(廣瀬通孝、岩波新書、2007)

この後者に該当するのが、現在社会の生み出した存在なのではないか?などというのがきっかけになります。
「機械化するヒト」という表現が、20年近く前に既に記述されていたということに少し私も驚きがあります。

現在の人は、タイパ・コスパを気にし、どのように効率的に生産性をよくしていこうかを考えることが常だと思います。
特に若者にはそのような風潮が常にあり、私自身もその一人だったのではないかと思います。

そんな中、人間関係上のトラブルで、一度心を壊してしまった私は、幸せなことに、「機械化した」自分を見つめ直す機会を得られました。

これまでは、カレンダー上にやることを配置して、それを元に、タスクのように、やることをこなしていく自分。
ふとある瞬間に、立ち止まった瞬間に、次の一歩が出なくなってしまいました。

そんな姿を、現代は「行動が先で、やる気は後から」という一般的な言葉を投げかけてくるかもしれません。
しかし、その言葉は刺さらず、私はこれで良いのか、と問い直す時期にあると思っています。

結論としては、ある種の自己満足的なところではございますが、これから変わっていく「自分」に対して、向き合う。そしてその姿を見て、現代が生み出した「機械化するヒト」もしくは「機械化」しつつあるひとに何か感じるものがあれば良いと思っています。

終わりにはなりますが、ここから雑記的にはなりますが、自分の感性というのを使いつつ、適宜紹介なども含めてblogをやっていこうと思います。

おそらく癖のあるものでしょう。
ここまで生きてきたことによってついてきたシワというのに丁寧に向き合いつつ、誰かへの貢献になればと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

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